奇数体癖と偶数体癖には決定的な違いがあります。
奇数体癖(1種、3種、5種、7種、9種)は「鬱散要求体癖」、
偶数体癖(2種、4種、6種、8種、10種)は「集注要求体癖」、
…だという点です。
これは野口晴哉氏の著書「体癖(ちくま文庫)」でまとめられています。
エネルギーが鬱滞してくると鬱散要求が生じ、足りなくなると集注の要求が起こる。こうして人間は生きているうちはいつもエネルギーの集散の平衡を保つように動いている。
鬱散は「自分の気持ちを晴らすこと。憂さ晴らしをする。」
集注は「周囲の関心や注意を自分に引き付けようとする。」
…ことを指しています。
まず、鬱散要求が生じると自分の気を発散しようとします。
何の理由もないのにイライラしたり、落ち着かなくなり、
怒鳴る、愚痴を言う、物を投げるなど鬱散行動を起こして、
溜まっている鬱憤を晴らそうとします。
ちょっとしたことで八つ当たりをするようになり、
場の空気を悪くする恐れがあるので注意が必要です。
一方、集注要求が生じると周囲の気を惹こうとします。
悪く言えば「悲劇のヒロイン」的な発想が強くなります。
最近だとリストカットなどはその典型のように思われます。
自分に興味を引き付けることができますからね。
基本的に周囲が自分に無関心なのを寂しがっているので、
注意が集まってしまうことなら何でもやってしまうのです。
叱られてもその後に快感が残ってしまうのに相違ありません。
奇数体癖がドSで、偶数体癖がドMか?
ただし、鬱散要求も集注要求も意識的に生じるものではなく、
無意識レベルで生じるので制御するのは難しいといえるでしょう。
どちらもエネルギーのバランスが偏ることで生じやすくなるので、
常に己のエネルギーを高めておくことが必要となってくるわけです。